■前回もかいたとおり、「何とか開設にこぎつけたいんです。だって、大学院もない大学なんて、ちょっと恥ずかしいでしょう」などと劣等感もあらわな内容を、しりあいとはいえもらすような学長がトップの地方私立大学で、いかにも研究者養成にみえる博士課程をこぞって設置したのかといえば、それはちがうだろうとおもう。■それと、地方国立大学とちがって、予算を基本的に授業料収入におもに依存し文部科学省から強烈に拘束されているとはいいがたい私立大学の人文・社会系学部が、定員いっぱいとらないとタイヘンといった圧力のために、大学院生リクルートに奔走したともおもえない。なぜなら、奔走したところで、“研究大学”+α の有力大学大学院のような定員わくが設定されるはずがないし、それをうめようにも、志願者自体がいないはずだからだ。■いくら、指導教員たちの「詐欺商法」がうまかろうと、“研究大学”+α の有力大学大学院出身者以外にほとんどパイがのこされていないだろう大学教員ポストや研究所のイスとりゲームの凄惨さは、容易に想像ついてしまうだろう。そこに参入することの巨大なリスクぐらいは学生でもすぐきづくにちがいない。■つまりは、地方私立大学の博士課程定員は、せいぜい数名といったもうしわけ程度におさえられただろうし、相当数の大学は、「みえ」のために修士課程を申請してゆるされたにすぎないだろう
■こういっては失礼だが、地方私立大学の教員、すくなくとも50代以上の先生方のばあい、かりに教授であっても、大学院設置の際の「戦力」にならない層が大半をしめるのではないだろうか? ■それは、俗にいう「マル合教授」とかよばれる、大学院設置のばあいの中核スタッフがそろわないだろうということ。文部科学省が大学院認可の基準の運用をいくらゆるめたとはいえ、「大学院で学位論文の指導が担当できる教員は、マル合(〇の中に合)教員と呼ばれ、修士論文の指導ができるMマル合教員、博士論文の指導ができるDマル合教員……文系のマル合教員の資格基準は、修士課程の場合、修士学位があれば20件程度、博士学位があれば10件程度であり、博士後期課程の場合、博士学位があれば30件程度」というのが、そこぬけになることはあるまい。■要するに、博士論文を指導できるとされる、博士号+著書論文等30点を確保している教員が50歳前後で複数いるのかということ。50歳代中盤以上は、アメリカでPh.Dといったケース以外博士号取得者がごくわずかしかいないし、40歳代前半で業績30件をこえている文系教員は、これまた少数派だろうから。■いや、これは“研究大学”+α の大学院の現有スタッフだって、そんなに ひとごとではないはずだ。実際、博士課程担当の先生たちの大半が博士号をおもちでないというのが、ごくあたりまえらしいからね。地方の私立大学で、わんさといる方が不自然だ。
■つまり、地方私立大学のばあい、修士課程を設置するのだって、外部から有力国立大学定年(ないし定年まぢか)の「マル合教授」を必死にリクルートする以外にないってことだ。そうであれば なおさら、「文系のマル合教員の資格基準…博士学位があれば30件程度」をクリアできて「大博士論文の指導ができるDマル合教員」が、「大学院もない大学なんて、ちょっと恥ずかしいでしょう」とみずから学長がのべるような弱小大学に赴任してくれるかどうか、微妙だろう。ご高齢で単身赴任もなかろうから、飛行機や新幹線で遠距離通勤を毎週くりかえすということになるとかんがえれば、なおさらね。

■とはいっても、1963年当時1413人だった博士課程修了者(博士号取得者ではない)が、40年後の2002年には13642人と、ほぼ10倍(文部科学省「博士課程の進路別卒業者数,進学率・就職率(経年)」)。その後も「平成18(2006)年度の博士課程修了者数は、15966名〔本書p.21〕と、確実に増加したという現実は のこる。たとえ「博士課程の定員割れが、一部の大学で見られ始め…平成18(2006)年の8月31日。ついに、「国立大学の博士課程定員が51年ぶりに減少する」とのニュースが流れ…博士生産が峠を越えた〔p.61〕とはいってもだ。■というのも、その背後には「博士課程修了」にいたらない膨大な層が潜在しているはずだし、「修了者」自体の就職率が6わり前後で推移しているということは、毎年4わりぐらいは、博士号ないし「修了」という学歴資格が無意味したかたちで「退場」していった層が蓄積しつづけたことを意味するからだ。
■ちなみに、文部科学省「大学院在学者数の推移」によれば、1970年度の人文科学系博士課程在籍者は1876名、社会科学系は1727名、教育系392名。それが、2002年度は、それぞれ7294名、7053名、1698名。約4000名から約16000名と4倍だ。■このあいだに、大学の人文・社会系の常勤ポストが4倍増になったなんてことはなかろう。非常勤のコマは激増したかもしれないけどね。■そして、分野別・地域別のデータはないが、私立大学の博士課程在籍者数は、同様に4,329→16,166と、やはり4倍弱。地方私立大学人文社会系の博士課程の実態はよくわからないが、約30年間に4倍前後という巨視的動態は無視できないだろう。

■少子化がすすみつつも、大学・学部は依然として新設されつづけている。しかも、つぶれる大学・学部学科はごくわずか。つまり、大学全体の講義コマ数全体は微増しつづけているのだろう。しかし、そういった「微増」傾向とは無関係に、何十%もの博士課程修了者が大量生産されるということは、大量の「博士浪人」が堆積しつづけたことを意味するだろう。■文部科学省と大学教員集団共犯ではじめて成立した巨大な「詐欺商法」は、否定できない。だって、“研究大学”+α にしか博士課程が存在しなかっただろう、そしてホントに研究職をめざしたいひと以外ほとんど進学しなかっただろう1960年代・70年代ひとすでに就職率が6わり程度しかなかった「構造不況業種」といえる大学業界だ。1990年代初頭のバブル経済崩壊がかりによめなかったことをわりびいても、構造的にバルブをゆるめるという方針がたてられていいはずがなかった。■まさか、「バブル経済のふんいきに大学関係者もまどわされて、バルブゆるめた」なんて、おやじギャグ いわないよね…。
【つづく】



「ムダ」とは なにか?シリーズ
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