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世界の環境ホットニュース[GEN] 649号 07年10月03日
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枯葉剤機密カルテル(第62回)         
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枯葉剤機密カルテル         原田 和明

第62回 ヨーロッパのミナマタ

行政当局の依頼でセベソの汚染地区を訪れたアメリカ農務省のダイオキシン研究者、P・C・ケアネイ博士は「妊婦を含む一般市民がこれほどのダイオキシン濃度の被爆を受けたのはかつて例がない。ベトナムでも同様のケースがあったが、ダイオキシン濃度ははるかに低かった。セベソはベトナム以上の汚染だと言える」と発言しています。彼はアメリカ空軍の依頼で、ベトナム戦争で使われた枯葉剤の調査研究、特に枯葉剤に含まれていた副産物ダイオキシンの自然環境中での消長に関する研究分野では第一人者とされる人物でした。
7月13日には セベソ市内の草木が枯れ始め、犬、猫、ウサギの死体があちこちで見られるようになっていました。14日以降になると、子供たちに皮膚の発疹、吐き気、食欲不振などの症状が続出して、15日に、セベソ市長は第一回目の緊急事態宣言を出しています。しかし、この時点で市もことの重大性を認識していたわけではありません。イクメサ工場は問い合わせに対し、「私たちは何を作っているか言えない。噴出した白煙の正体が何であるかもわからない。スイスの本社にサンプルを送って分析を依頼している。」と繰り返すばかりでした。

17日付の地元紙は、14人の乳幼児が入院した市内の病院の院長のコメントを掲載しています。「症状からみて、汚染物質はベトナム戦争で使われた枯葉剤と同じではないかと直感した。」この日、市は「市内産の食肉、野菜、果物を食べるな」という二回目の緊急事態宣言を出しています。

20日になってやっとジボダン社の分析結果が漏れ伝わり、大騒ぎになりました。21日にイクメサ工場の責任者2人が逮捕され、23日には工場側から「汚染は極めて憂慮すべき状態にあり、汚染地区の住民は全員移転させてほしい」との要請がだされました。発表が遅れたことを批判されたミラノ大学では声明をだしています。「セベソ市から分析依頼を受け、17日にサンプルを入手したが、分析に必要な情報の提供をイクメサ社に拒否され、22日にやっとダイオキシンの存在を確認した。」と。州立医学分析センターがダイオキシンの存在を正式に発表したのは24日で、ジボダン社が追認したのは27日でした。(綿貫礼子「生命系の危機」アンヴィエル1979)その27日、セベソ在住の女性が急死、初の犠牲者と報じられましたが、後に持病の喘息が死因と変更され、事故による死者はいないとされています。

汚染物質は ダイオキシンと報じられると、なぜか 早い段階からマスコミ各紙に「飛散したダイオキシン量は約2キロ」との推定値が流布、定着していきました。「セベソ事件」を紹介している日本の出版物もほとんどこの推定値を紹介しています。しかし、イタリア政府の招聘で7月28日から4日間現地調査したイギリスの植物生理学者、ドナルド・リーは注目すべき報告を行なっています。

私(リー)は事故に関する確実で、詳細な情報を何ひとつ得ることができなかった。事故時、反応容器中のトリクロロフェノールは 650キロとみなされているが、もし反応温度が 300度まで上昇したとすると、トリクロロフェノールの5-20%がダイオキシンに変化し、環境中に放出されたと考えられる。だから工場からの放出量が2キロ(0.3%相当)という推定値は理解しがたい。既に検出された汚染地区だけのダイオキシン総量でも2キロを超えている。被害住民の被害が数日後に現れたという事実は(すぐに劇症を生じる)トリクロロフェノールが比較的少なかったことを示唆しており、かなりの部分がダイオキシンに変化していたことを暗示している。650キロ 全部がトリクロロフェノールとして放出されていたら、工場周辺はもっと早く住めなくなっていただろう。私はダイオキシンの生成可能性として130キロまであったと推定している。綿貫礼子「生命系の危機」アンヴィエル1979)

しかし、この報告は公表されませんでした。さらに首相諮問の科学技術委員会の議長を務めていた チンミーノ教授が「住民に 無意味な希望を与えるべきではない。汚染物質は非分解性で不溶性だから、汚染除去には長い時間がかかる。」と発言したところ、州政府から「事実を過大に見すぎている」とクレームがつき、彼は対策委員会から外されたのです。(綿貫礼子「生命系の危機」アンヴィエル1979)

このように、恐らくかなり過小評価された汚染地域に住民はさらに10日あまり放置されました。行政当局は土壌汚染の度合いを基準にしてダイオキシン濃度が1平方メートルあたり50μg(マイクログラム=100万分の1グラム)以上をA地区、同5-50μgをB地区、5μg以下をR地区、その外側を non-R地区と定め、A地区の住民を強制疎開させました。家財道具その他の持ち出しは認められませんでした。B地区の住民はそのまま住み続けることになりました。(綿貫礼子「胎児からの黙示」世界書院1986)朝日新聞は疎開直後の様子を次のように伝えています。

事故から一か月、被害の規模は日ごとに大きくなり、国内では「ピッコロ(小さい)ヒロシマ」「ヨーロッパのミナマタ」と呼ばれるようになっている。強制疎開で無人となったA地区は有刺鉄線や木の柵で完全封鎖されている。住民が家財道具をそのまま残しているため、自動小銃を抱えた兵士が24時間警戒にあたっている。汚染度の低いB地区には妊婦、子供を除いて大半の住民が残っているが、至る所に「汚染地区」と書かれた黄色い看板が立っている。A地区の北端に赤レンガの塀で囲まれたイクメサ工場があり、ガスマスクに防護服で身を固めた従業員が爆発現場に残った反応残渣の撤去を続けている。健康に配慮して1日4時間づつの交代作業だ。

強制疎開させられた800人は 各地のホテルで家に帰れる日を待っている。政府は事故で働けなくなった人に月収の8割を支給することを決めた。これまでに6000人が診察を受け、40人が手当てを受けた。ダイオキシンで汚染された土をいじった子供が多い。幸い死者はいない。
(1976.8.13 朝日新聞)

しかし、胎児への影響は深刻でした。77年2月に、セベソで二人の奇形児が誕生して以来、奇形児誕生のニュースが続き、12月には「事故後、奇形児の誕生は30ケース以上」と報じられました。ところがロンバルディア州政府は実態の公表を拒み続け、78年に議会に提出された資料では「汚染地域に奇形児が多発しているとは言えない。」との結論になっていました。(綿貫礼子「生命系の危機」アンヴィエル1979)これに対し、ミラノの産婦人科医F・ダンブロウジョは、既に州政府に報告していた、自ら診察したカルテを用いて行なった疫学調査の結果と異なると州政府に抗議しています。彼のカルテでは先天異常児発生率は事故発生から2年目の1978年に5.24%でしたが、州政府は1.93%と偽ったデータを発表し、事件の影響はなかったと結論づけていたのです。(綿貫礼子・吉田由布子「未来世代への戦争が始まっている」岩波書店2005)

このような隠蔽工作が行なわれる背景について、綿貫礼子「生命系の危機」(アンヴィエル1979)に次の指摘があります。(以下引用)

事故発生から二日後、イクメサ工場はジボダン社を通じて、親会社ホフマン・ラ・ロッシュ社に事故の報告をした。ホフマン・ラ・ロッシュ社はその対策のため直接、NATO(北大西洋条約機構)と接触したといわれる。その情報を受けたNATOは直ちにドイツのカールスルーエ基地とイタリアのピアチェンツァ基地から平服の軍事技術者をイクメサ工場に派遣した。このことは事前にイタリア政府にさえ通告されていない。

NATOの軍事専門家は工場周辺の土及び水のサンプルを集めて持ち帰っているが、工場から1.2マイル以上も 離れた地点と、さらに遠隔地のミラノ、ローディのサンプルも採取されたことが確認されている。これが最初のNATOの行動であった。そして第二の行動はイクメサ工場内の秘密物質群や関連の装置、機械類すべてを処分するよう<指示>したことであった。セベソ市当局も何が起きたかさえわからない混乱の最中であり、イクメサ工場責任者の逮捕以前の時期にこれらの行動がなされたわけである。採取されたサンプルはピアチェンツァ基地の研究所で分析されたといわれるが、データは一切公表されていない。「エスペソ」誌が 8月15日にブリュッセルのNATO本部に情報の公開を求めたが拒否されている。

多国籍企業のホフマン・ラ・ロッシュ社がイクメサ爆発直後にNATOの協力を求めたことは、その両者の緊密性を物語るものだろうが、NATOの生物化学兵器開発者側にとって、セベソ地域の環境破壊の実態はケアネイ博士の言葉を借りれば、「兵器研究にとって、またとない絶好のチャンス」であることは疑うべくもない。
(引用終わり)

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■もともと化学兵器の製造工場からの事故だったとはいえ、そのデータをまた化学兵器製造にいかそうとは、まったくねぇ。要は同盟国の国民であろうと、想定外の人体実験も「ごっつぁん」と。■あきれた。化学工場そばにすむような、中産階級からハミでた層の人権なんぞ、かんがえたことないんだよ。暴動にさえいたらなければ、世界中から非難さえあびなければね。ただ問題の風化をまつだけど。