■被告全員の無罪が確定した03年の鹿児島県議選をめぐるいわゆる「公職選挙法違反事件」デッチアゲのてんまつ、続報。

冤罪県議のアリバイ、逮捕直後に把握
鹿児島県警警部ら

2007年11月20日09時11分

 12人の被告全員の無罪が確定した03年鹿児島県議選の選挙違反事件の捜査で、当時の現地捜査本部が「主犯」とした中山信一県議(62)のアリバイを逮捕直後に把握していたことが、捜査関係者や地元関係者の話でわかった。県警本部や鹿児島地検に対しては、アリバイの存在を起訴後まで伏せていたという。現地本部の暴走ぶりと同事件の捜査のずさんさが改めて浮かび上がった。

 中山県議は、県議選告示前に同県志布志市の住民らを集めて計4回の買収会合を開き、計191万円を配ったとして公職選挙法違反(買収)容疑で03年6月4日に逮捕、7月17日に起訴された。検察側は公判で県議本人が4回の会合すべてに出席していたと主張した。

 当時の捜査本部が1、4回目の会合日とみなしたのは、03年2月8日と同3月24日。ところが、中山県議は両日とも志布志市のホテルで開かれた中学の同窓会や自治会の集会に出席していた。
 県警がこのアリバイを把握した時期について、県警の藤山雄治本部長は今年10月3日の県議会で「(県議の起訴後の)03年7月下旬」と答弁した。

 だが、このホテルを当時経営していた男性(49)は朝日新聞の取材に「県議が逮捕された直後に、県警の捜査員が何回もホテルに来た。その際、両日は中山県議が同窓会などに出席していたと証言した」と話した。宴会の日時などを記した台帳を任意提出し、捜査員が持ち帰った
という。

 当時の捜査関係者も取材に対し「同窓会などの情報は03年6月上旬には聞き込み捜査で把握し、指揮していた警部(57)に報告されていた。ホテル従業員らに聴取し、台帳も提出してもらった」と認め、「アリバイがあれば地検は起訴しないので、報告は起訴後になった。逮捕した以上、突き進むしかなかった」と説明した。ある捜査幹部も「警部らが県警と地検をだましていた」と話す。

 鹿児島地検は05年7月15日の公判で、「買収会合」の日付を明らかにした。捜査関係者によると、会合の参加者とされる住民らの電話の使用履歴や行事などを一覧表にしたところ、会合は4回とも成立しないことが判明。容疑を認めた6人だけの表を作り直すと、空白日が2日だけあり、そこに両会合を当てはめたという。2、3回目の会合については、最後まで日付を特定しなかった。

 鹿児島地裁は1、4回目の会合に県議が出席することは「物理的に不可能」「不自然」などと認定。今年2月に被告12人(ほかに1人が公判中に死亡し公訴棄却)に無罪を言い渡した。

 県警本部長答弁について、元ホテル経営の男性は「県議の逮捕直後に受けた事情聴取は一体何だったのか」と話す。県警は「本部長答弁以上のことはコメントできない」としている。

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前回前々回ものべたとおり、違法なとりしらべをやらかした警部・警部補の個人的暴走とみるのは、まずかろう。■「指揮官」だった警部の暴走をなぜとめられなかったのか? だって、警部にアリバイ情報を部下たちはあげていたわけだよね。■不自然な「作文」ででっちあげらた調書を、なぜ県警本部や地検はみぬけなかったのか? 要するに、とりしらべのときに、まえもって「もっともらしい作文」をかいておいて、事後的に被疑者に確認するって作業をくりかえしていたからでしょ?
■「「アリバイがあれば地検は起訴しないので、報告は起訴後になった。逮捕した以上、突き進むしかなかった」と説明」って、ぞっとさせられるよね。■要するに、つごうのわるいデータ(アリバイなど)は、自分たちのつごうで取捨選択してしまっているってこと白状しているようなもんでしょ?■ま、裁判官も、自分の先入観に無自覚ないし、「はじめに結論ありき」で、つごうのいい証拠認定をやらかしているよね。「証拠か証拠でないかは、おれたちがきめる」ってね。
■結局のところ、弁護士など同席させたうえでの、とりしらべ過程の全体録画・録音でしか、透明化ははかれないということ。密室で権力をにぎった「暴君」と、その「追認者」たちを暴走させないためには、これしかない。
■裁判官たちが「合議」に、とかいって、別室にきえるのも、まずかろう。その「やりとり」自体を録画するなどしないとね。というか、かれらの私生活も監視しないとだめか? 裁判所のそとで「合議」されたんでは、たまらんし
〔もっとも、処理すべき案件がおおすぎて、そんなことは不可能なはずではあるが、それぐらい、疑惑があるってこと〕


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