■『医学・都市伝説』の今月あたまの記事を、やっぱり紹介しておくことにする。

2007年11月 1日 足るを知れ [医学・科学関連]

"Journal of Personality and Social Psychology"誌、最新刊号に掲載された、日系心理学者による論文。原題は"The dynamics of daily events and well-being across cultures: When less is more."(「比較文化的にみた日常イベントと幸福感の力学:控えめなのが一番」)以下に訳出したのは、その内容に関するバージニア大学のプレスリリースである。
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自分が幸せだと思うなら、それ以上に幸せを望まない方がいい。そうしないと、幸せの度合いはずっと少なくなるだろう。これが「パーソナリティと社会心理学」誌に掲載された比較文化的研究の要旨である。
バージニア大学心理学教室のオオイシ・シゲヒロ準教授とそのグループは、アジア系米国人学生、韓国、日本人留学生と比較すれば、ヨーロッパ・米国学生の方が、全体として、より自分たちが幸せであると感じていることを見いだした。

しかし、ヨーロッパ・米国学生たちは、アジア系と比べると、日常生活でちょっと嫌なことがあると、簡単に気分が落ち込んでしまうことも判った。そして、全体に幸福感に乏しい韓国、日本人学生たちは(アジア系米国人にも幾分かその傾向は指摘出来るが)、落ち込みからの回復も早かった。
「人はラッキーな出来事に恵まれていると、アンラッキーなことから、より強い影響を受けるものなんです。人生がポジティブなイベントに満ちていると、逆に嫌なことにいつまでもとらわれる訳です。ファーストクラスに乗っていれば、30分の遅れでも気にしてしまうが、エコノミーなら多少の遅れでも気にならないようなものです」。

オオイシ準教授はそう語る。彼は日本で育ち、23歳の時に米国に移り、社会心理学者として研究してきたが、東アジアの人々と、米国民が日常生活の諸局面に対する反応の違いに注目してきた。

彼の研究グループは、日本、韓国、米国の大学生350人を3週間調査した。被調査者たちは、人生の満足度評価と、毎日の日常で遭遇するポジティブ、もしくはネガティブな出来事について自己記録した。

研究グループは、欧米系学生はネガティブな出来事(例えば駐車違反切符を切られる。成績が思ったより悪かった、など)によって落ち込んだ状態から回復するのに、ポジティブな契機が二つ(誰かに褒められる、何かを貰う、など)必要なのに、アジア系の場合、ポジティブなことが一つあれば充分であることを見いだした。

オオイシ準教授によれば、沢山の幸福に慣れきっていると、嫌なことを受け入れることが困難になるという。幸福のまっただ中で出くわすネガティブ・イベントの力は強力なので、人々は幸せそれ自体を感じられなくなってしまうのだと。

新しい車や家を買ったり、結婚したというような出来事で幸せを感じているはずの人が、支払いの段階や、ちょっとした口げんかを経験した程度のことで落ち込んでしまうのは、こういう理由なのだ。それは比率、もしくは見通しの問題なのだ。

オオイシ準教授はいう。「一般的に言って、楽観的な見通しを持っておくのはいいことです。しかし、毎日の生活で出くわさざるを得ない、ネガティブな側面を受け入れるようにしておかないと、心地のよい満足レベルを維持することは困難になるでしょう」。

アドバイスを一言で言うと、「これ以上の幸せを求めるな」。
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結構繰り返しも多いプレスリリースなのに、なぜか全文を訳出してしまった。これも皆、オオイシ・シゲヒロ準教授(シゲヒロには同音異字が多いので、漢字が不明)の、憂いと喜びを同時に噛みしめた味のある表情に魅せられてのことであります。
内容に関しては納得できる点も多い。誰だって、この程度の覚悟は持って暮らしているような気もするが。ただ、ファーストクラスの喩えがあんまりよく判りません。ファーストクラスで30分ほど遅れたって、エコノミーで長いこと閉じこめられるより、よっぽどましではないですかね。ま、乗ったことないから想像で言うんだが。


投稿者 webmaster : 2007年11月 1日 22:36

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■個人的には「足るを知れ」という結論ではなくて、「幸福感の限界効用逓減法則」とか「準拠枠による満足度格差」ってことじゃないかとおもう。「沢山の幸福に慣れきっていると、嫌なことを受け入れることが困難になる……幸福のまっただ中で出くわすネガティブ・イベントの力は強力なので、人々は幸せそれ自体を感じられなくなってしまう」というならね。■でもって、もしヨーロッパ系(いわゆる白人たち)が、この すぐおちこむタイプで、いわゆる、われわれと遺伝子情報がちかい東アジア系が、そうでないってのは、「ヨーロッパ系」とくらべて、アメリカ社会で不遇ってことでしょ?(笑)
■社会心理学って、社会学と「ふたご」みたいな問題設定をしている おとなりさんのはずだけど、えらくちがう感じだね。■社会学やっているひとなら、経済的階層を統制したばあいでも、こういった民族差・「人種」差が観察できるか、最初からうたがってかかるだろう。■でもって、もしヨーロッパ系米国人が、アジア系より経済的にゆたかであるとわかったら、「おちこみ」の原因は、「ゆたかさ」だって、逆説的な結論をみちびくだろう。日常的な満足度がおおい層ほど ちょっとしたマイナス要因で「へこむ」なんて結論は、擬似相関で、要は、民族ごとに、ものすごく日常的な満足度水準が格差をもっていて、東アジア系は、低調な日常の水準があるがゆえに、ちょっとしたことで元気になれるだけだってね。■もし、オオイシ先生らの調査とやらに、こういった推定があてはまってしまうなら、単に経済格差を間接的に確認してしまっただけの可能性がある。

■だとしたら、これって、「朝ごはんたべている児童は、学校の成績がいい」ってのと、大差ない擬似相関問題でしょ。

■たぶん、日本で大学まで卒業したうえで渡米しているはずなのに、こういった基本的な問題設定からしてハズしてしまうとしたら、おどろくべきこと。■さらには、これが新発見なのだとして、学術研究にみとめられてしまうことのコッケイさ。■だってさ、「人生の負け組だっておもいこんでいる方が、日常のちょっとしたことで、おおきなうきしずみがおきない」って処世訓をみちびきだして、どうするのさ?(笑)


■一部のアメリカ人たちが、禅など仏教哲学にひかれて、そこにすくいをもとめるというのは、よくきく。■しかし、そのおおくは、真にかんがえぶかいというよりは、負け組にまわるなど、挫折体験をのりこえようと、あがいた結果として、たどりついただけではないか? もちろん、「足るを知る」という人生哲学がわるいわけじゃないし、基本的に「いけいけ」しか眼中にないらしい、グッド・アメリカンのみなさんたちにとっては、少々ふりむいた方がいいだろう、「ダウン系メッセージ」だろうとはおもうよ。■しかし、深刻な挫折体験がない連中に、「人生たちどまって、あたまひやしみよう。自分は、たくさんの資源をあたえられていて、実にハッピーなんだって自覚しよう」なんて、いって、どうするの? ■それとも、「あなたがたより 日常的にめぐまれないアジア系は、たったひとつの いいことで、しあわせになれるんですよ。かれらにまなびましょう」って説教たれるのか? ま、オオイシ先生の実体験として、そう説教するのは、説得力がありそうだけど、それを学術研究の調査結果として提出するのは、どんなもんだろうね? ■それは、アジア系ほかの集団が構造的に差別されている現実を直視しない、偽善的な幸福哲学をかたっていることになるだけだとおもうけど。

■要するに、「足るを知れ」ってのは、「上を見ればかぎりないが、下をみてもかぎりない」「上見てくらすな、下見てくらせ」という、ふるい処世訓と同質におちこむ危険性がある。■そして、「限界効用逓減の法則」をもちださなくても、古今東西の貴族・エリートたちが、ぜいたくざんまいをつくしても すぐあきてしまい、どんどんアホな浪費にはしるしかなかったとかいう普遍的な事実をきくにつけ、仏教的な達観・諦観は、提示するだけムダだろうとおもえる。だって、どんどん幸福感は事実として構造的にマヒしていくんだから。


■唯一の突破口としては、岡田斗司夫氏の「レコーディング・ダイエット」の「毎回の食事の中でどれだけのカロリーの物をどれだけ食べたかを逐一記録し、自分の一日の総摂取カロリー量を確認する」と同形のことを、毎日の「よかったこと日記」として実践するぐらいか?(笑) 「数時間おきに、どれだけの幸福な事実があったか逐一記録し、自分の一日の総体験幸福量を確認する」ってかたちで。いや、意外にいいかもしれない(笑)。
■儒学者である広瀬淡窓は、「良いことをしたら白丸を1つつけ、食べすぎなどの悪いことをしたら1つ黒丸をつけていき、白丸から黒丸の数を引いたものが1万になるようにする」という記録「万善簿(まんぜんぼ)」を晩年までつけていたそうだ。■われわれ凡人は、こういった善行の蓄積とかいった倫理性の追求じゃなくて、個人的にどんなに日常的に幸福を体験しているのかだけを記録していく。実際、一日の総体験幸福量、一か月の総体験幸福量、一年の総体験幸福量と、記録・確認していくというのは、日記のあらたな活用法かもしれない