教育現象

先行者にして継承者としての教育者(内田樹氏の教育哲学)3

■一日あいたが、前便で予告したとおり、「内田教育哲学」への補足のつづき。■『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)には、教育論にとどまらない、身体論・認識論として、めをみはるべき指摘がまだあるのだが、このシリーズでは、あくまで教育哲学としての射程を問題にしているので、それらにはふれない。
■それにしても、本書は「内田樹『先生はえらい』」ともかさなるんだが、まなぶがわがもたないと損をする まっとうな権威主義には言及するんだが、前回もかいたとおり、基本的にエリート主義教育のわくをこえないんだね。■だから、自己変革を継続中の師匠が、「せなかをみておれ」と、後続者たちをひきつれていくカリスマ論ではあっても、名人芸でしかなくて、ごく一部しか公教育では応用不能だという致命的欠陥をかかえる。■はっきりいって、大学だって平均水準とはいいがたい「自己変革を継続中の師匠」たちなのに、なんで、そういったカリスマ教師が小中高校に「常備」されるような体制がめざせるわけ? たとえば、米村でんじろう氏みたいな人材が、科学するこころをはぐくみ、背後にある物理学などの知的体系のピラミッドにいざわなれる…なんてことが、列島上でおきるとおもうか?

■それと、内田御大が くりかえしのべているとおり、たぐいマレなる天才的師匠との めぐりあいは、実は天才を天才とみぬく 後続者たちの嗅覚による必然といった構造をもつように、これは学習者の天賦の才が前提されている。そりゃ、無名のタルムード研究者から無限の知的継承のヒントをつかんでしまうような、レヴィナス御大のような天才は、どんな平凡にみえる人物からも、天才的な発見をなさるでしょうが(笑)。
■要は、これらはいずれも、カリスマ的な天才か、他者にカリスマを発見できる天才か、いずれかの希少な人材がかもしだす 偶然的なめぐりあいを前提にした教育論で、およそ公教育現場なんぞには、適用不能なんだな。
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とうとう学校給食法が「食育」イデオロギーの装置へと

■おそかれはやかれ、こうなるとはおもっていたが、やっぱりでました「学校給食法」の改訂問題。■「「早寝、早起き、朝ごはん」?〔『おそい・はやい・ひくい・たかい』〕」の続編。■とりあえずは、『中日新聞』紙面にのった共同通信の記事。 

「食育」重視へ目的転換 
学校給食法初の大改正へ
『中日新聞』2007年11月25日 17時08分

 小中学校で実施されている給食をめぐり、文部科学省が主要目的を従来の「栄養改善」から食の大切さや文化、栄養のバランスなどを学ぶ「食育」に転換する方針を固めたことが25日、分かった。目的の転換やこれに沿った栄養教員の役割などを盛り込んだ学校給食法の改正案を、早ければ来年の通常国会に提出するとしている。

 学校給食法の大幅な改正は1954年の施行以来初。当初は戦後の食糧難を背景に不足しがちな栄養を給食で補うことを主目的としたが、食糧事情が改善された上、子どもの食生活の乱れが指摘され2005年に「食育基本法」も成立し、学校給食法も実態に合った内容にする必要があると判断したとみられる。

 改正では、目的に関し教科外の「特別活動」とされている給食を、子どもの栄養補給の場とするだけでなく、食材の生産者や生産過程、流通や食文化などを学ぶ場と明確に位置付ける。


(共同)
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先行者にして継承者としての教育者(内田樹氏の教育哲学)2

■前便の補足的なことをいくつか。

■こういった師匠自体が自己変革(OSバージョンアップ)過程で、過去の師匠群のあとおいをしているという物語=教育的関係の制度化は、やはりエリート的な空間にかぎられるとおもわれる。■「試行錯誤過程と整理」でのべたこととかさねるなら、あらたな山頂をめざし、最短ルートをほどなく発見する能力を次第に水準としてあげていくといった、「達成感の水準上昇」は、それほど大衆的には成立しえないだろう。■とりわけ、「正答」があらかじめ確定しているパズルにだけ終始しようといった、公教育にありがちな教員層(「科学」や「学問」とは無縁な)が、うえにあげたような達成感・感動を あたえられるはずがなかろう。■それは、レベルのひくいゲーム(パズル)に プレイヤーが早晩あきてしまって、OSのバージョンアップといった次元の向上などがありえないと同質である。■こういったことが可能なのは、公教育空間や予備校などでは例外的な名人芸でしかなく、大学院あたりなら、少々あたりまえになるといったところではないか?
■「正答」があらかじめわかっていない、「最適ルートを自力でさがしだす、再帰的なゲーム」「最適ルートが局面によってかわりうるという意味で、複数の最適ルートをさぐる探検ゲーム」のような創造的な空間でだけ成立するものだからである。
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先行者にして継承者としての教育者(内田樹氏の教育哲学)

■哲学者内田樹氏については、何度もふれている(笑)、今回は、そのうちの教育論の続編。おもには「内田樹『先生はえらい』」と、「試行錯誤過程と整理」で、特に前者〔このブログ開始期なので、よみかえすとはずかしい(笑)〕
■内田御大の教育哲学をごく乱暴にまとめてしまうなら、表題どおり、「先行者にして継承者としての教育者」という一節につきてしまうとおもう。■実体験としての、武道家 多田宏合気道)、哲学者 レヴィナスという、ふたりの鬼才にめぐりあい師事したこと、その師匠ふたりともが、「先行者」としての師匠なしには開花しなかっただろうという、解釈にささえられているのだが、実際には、この2例は、それほど説得力をもつものではない。
■むしろ、もとラグビー選手である、平尾剛氏との対談本『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)でのべられている、「弟子とは「未完成な存在であって、つねにより高いものを求めている途上にある」というふうに定義〔p.145〕したうえで、自分がおよびもつかない師匠がいて、そのさししめした理想にむかっているのが、いまだ「弟子」でありつづけている自分なのだと、指導者が物語をこしらえること、それに弟子たちが感応することに、真髄があるという説明が、その教育哲学の本質があるとおもう。■あとの説明は、その補足的な性格にとどまるとさえいえそうな気がする。
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出題、事前に知りメール 司法試験考査委員の元慶大教授(朝日)

■基本的に研究者以外の進路がみつけづらい、人文・社会系の大学院博士課程の市場原理的な巨視的矛盾をシリーズでおってきたが、そういった、ある種「ユトリ」の世界への、ハイリスクな投企・突進というもいうべき世界と対照的に、国家的に実務上の専門家を養成するのだとうたっているのが、医師国家試験の合格予備校としての医学部医学科とか、司法試験合格者のための司法研修所といった制度だろう。
■これらに代表される学校・研修所制度は、基本的に「到達度」確認装置であり、市場原理に即した「イスとりゲーム」ではない。■しかし、何度も問題にした法科大学院は、そうではない。合格率4わりといった結果がなにより「雄弁」にかたるとおり、どうみても「イスとりゲーム」である。
■そんな、一人前の法律家のタマゴになれるかどうか、なんら保証のない制度でおきたのが、司法試験考査委員から勤務校大学院生へモレたらしい試験情報。■医師国家試験や歯科医師国家試験での情報漏出より、ずっと悪質だろう。


出題、事前に知りメール 
司法試験考査委員の元慶大教授

2007年11月11日

 新司法試験の出題と採点を担当する法務省の「司法試験考査委員」だった元慶応義塾大法科大学院教授の植村栄治氏(58)=8月に依願退職=が、試験1カ月前の今年4月、教え子の学生たちに流したメールの中で「重要判例」と紹介した最高裁判例について、本試験に出題される予定を事前に知っていたことがわかった。別の考査委員から事前に聞いていたことを植村氏が朝日新聞の取材に認めた。同氏は試験問題漏洩(ろうえい)の意図はなかったと否認しているが、多くの法科大学院の教授らは「明らかに秘密漏洩。国家公務員法の守秘義務違反にあたる」と批判している。

植村栄治元慶応大学法科大学院教授が
司法試験1カ月前に流したメールの文面
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 植村氏は行政法を専門とし、昨年11月、法務大臣により司法試験(公法系)の考査委員に任命された。今年4月11日、慶応大学の法科大学院の百数十人の学生にメールで「平成18年度重要判例解説」が刊行されたことを紹介。「そのうち行政法関係で重要そうな判例を幾つか選んで判旨ポイントを作りました」と述べて六つの判例を示し、「あと1月(ひとつき)、直前の追い込みをがんばって下さい!」と書き添えた。六つの判例のうち、憲法の租税法律主義と国民健康保険料の関係を論じた昨年3月の最高裁判例が、5月15日に実施された本試験で、短答式の問題の素材となった。
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