宗教関連

「創価学会入らぬなら昇給差別 朝礼で聖教新聞読み合わせ」(しんぶん赤旗)

■「創価学会への入信を強制する会社」『不条理日記』経由の『しんぶん赤旗』の記事。■リンクは、ハラナがかってに補足。

2007年8月23日(木)「しんぶん赤旗」

創価学会入らぬなら 昇給差別
朝礼で聖教新聞読み合わせ
40人突然解雇の内装会社
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 「創価学会に入信しなければ昇給で差別」「サービス残業で聖教新聞をつかって『座談会』」。そんな経営をすすめた会社が、六月に不渡りを出し倒産しました。社員約四十人を何の前触れもなく解雇したこの会社は、現在、労働組合が求めている六月分の給与支払いなどを拒否し続けています。

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 問題の会社は「太洋開発」(東京都中央区、足立一英社長)。オフィスや店舗の内装工事、施工管理などを行っていました。

 突然解雇された元社員らは労働組合を結成。六月分の給与、不払い残業代などの支払いを求めています。

 ところがこれまで五回の団体交渉で、社長らは「支払う気はない」などと不誠実な態度を繰り返しています。それどころか倒産に至った主な原因に「社員の勤怠が悪く―ことごとく工期遅れとなり―資金繰りを悪化させた」などをあげ、社員に責任を転嫁しています。
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第二大本教事件(1935)-二二六事件(1936)=坂口安吾ノート5

■ダラダラつづく シリーズ5弾。■前回のつづきではなく、第3回まで紹介した、坂口安吾「日本文化私観」(初出:「現代文学 第五巻第三号」1942年2月28日)から、また一部を引用。

……
 そういう僕に隠岐がいささか手を焼いて、ひとつ、おどかしてやろうという気持になったらしい。無理に僕をひっぱりだして(その日も雪が降っていた)汽車に乗り、保津川をさかのぼり、丹波の亀岡という所へ行った。昔の亀山のことで、明智光秀の居城のあった所である。その城跡に、大本教(おおもときょう)の豪壮な本部があったのだ。不敬罪に問われ、ダイナマイトで爆破された直後であった。僕達は、それを見物にでかけたのである。
 城跡は丘に壕(ほり)をめぐらし、上から下まで、空壕の中も、一面に、爆破した瓦が累々と崩れ重っている。茫々たる廃墟で一木一草をとどめず、さまよう犬の影すらもない。四周に板囲いをして、おまけに鉄条網のようなものを張りめぐらし、離れた所に見張所もあったが、唯このために丹波路遥々(はるばる)(でもないが)汽車に揺られて来たのだから、豈(あに)目的を達せずんばあるべからずと、鉄条網を乗り越えて、王仁三郎の夢の跡へ踏みこんだ。頂上に立つと、亀岡の町と、丹波の山々にかこまれた小さな平野が一望に見える。雪が激しくなり、廃墟の瓦につもりはじめていた。目星(めぼ)しいものは爆破の前に没収されて影をとどめず、ただ、頂上の瓦には成程金線の模様のはいった瓦があったり、酒樽ぐらいの石像の首が石段の上にころがっていたり、王仁三郎に奉仕した三十何人かの妾達がいたと思われる中腹の夥(おびただ)しい小部屋のあたりに、中庭の若干の風景が残り、そこにも、いくつかの石像が潰れていた。とにかく、こくめいの上にもこくめいに叩き潰されている。
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クリスマス/サンタクロース2

前便の続編。■今度は、朝日のクリスマス特集とかいう記事「本物のサンタクロースが語る、ちょっと変!?な日本のクリスマス」の転載。

世界サンタクロース会議でデンマークに行くと、世界の公認サンタクロースたちから日本のクリスマス事情を聞かれ、毎回質問攻めにされてしまうと、パラダイス山元氏は語る。

「日本人はクリスマスに何をするのかと聞かれたから、“フライドチキンと、買ってきたケーキを食べる”と言ったら、“日本は仏教国なのに、なぜライスプディングではないのか”“なぜ料理を手作りしないのか”“家族で過ごさないのか”などと言われます。家族でクリスマスを過ごす習慣のあるヨーロッパのサンタからすると、日本のクリスマスは理解できない風習に見えるようです」
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クリスマス/サンタクロース(取捨選択版Wikipedia)

■Wikipediaによれば「クリスマス(英:Christmas, Xmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝うキリスト教の記念日・祭日である。「神様が人間として産まれてきてくださったこと」を祝うことが本質である。12月25日がこれに当たるが、昔の暦では日没を一日の境目としているので12月24日夕刻から朝までをクリスマス・イヴとして祝う」そうなので、この日没から、よあけまでが「クリスマス・イヴ」ということになる。■以下、Wikipediaの「サンタクロース」と、「クリスマス」の記述をぬきだしてみる(リンクは割愛)。


サンタクロース(英:Santa Claus,Father Christmas)は、クリスマスにやってくるとされている太っちょのおじいさん。通常クリスマスイブの夜に、トナカイのソリに乗ってやってくるとされる。

各国語ではさまざまな名前で呼ばれるが、日本語では英語の影響で「サンタクロース」と呼ばれ、サンタ、サンタさんとも呼ばれる。

……
日本のサンタクロース
……
1900年代には銀座でクリスマスのデコレーションが盛んとなり、1910年代にはクリスマス商戦にサンタクロースのイメージが多用される。


大正
大正時代に入ると、児童向けの雑誌や少女雑誌の十二月号にクリスマスのお話が掲載されるようになり、特に『子供之友』にはサンタクロースに関する題材が数多く採用された。大正3年(1914年)にはコカコーラ社より15年以上早く先がけて、同誌に現代とまったく同じイメージの赤い服を着た大人の背丈のサンタクロースが描かれていた。大正15年(1926年)12月25日のクリスマスに大正天皇が崩御し、その12月25日が大正天皇祭(1926年?1947年)として当時の国家祝祭日となったため、その後のクリスマスの普及に大きな影響を与えた(出典:クラハト『クリスマス?どうやって日本に定着したか』)。
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自分のカラダをいためつける行為の是非(幸福の科学)

宗教法人幸福の科学」の(こどもむけ?)広報誌『ヘルメス・エンゼルス』がてにはいったので、拝見。
■「ヘルメス」と「エンゼルス」という宗教的な起源については、全然理解できない。■「旅人、泥棒、商業、羊飼いの守護神」とされるヘルメスを岩波書店が雑誌名につかう以上に意味不明だし(笑)、「アブラハムの宗教が広まり、他民族を取り込んでイスラエル民族が成立していく過程で、他宗教の神を、唯一神によって創造された下位の存在として取り込んでいった」ことで生じた「唯一神教であるアブラハムの宗教の中に埋め込まれた多神教的要素」と目される「天使」概念の、大衆版は、「ルネサンス期にローマ神話のクピド(女神ウェヌスの使い)からイメージを借り」ることで近世以降生じた「無垢な子供の姿や、女性的な姿、やさしい男性の姿」なわけで、大川隆法氏らの「子どもを天使に育てよう!」といったコピーの水準がうかがえる。

■それはともかく、小冊子の巻頭にかかげられた、ひかりのことば 幸福の科学総裁 大川隆法 先生「子どもにとっての信仰? 自分の体を傷つけたり、自殺してたりしてはいけない」 の記述を実際に引用しながら、検討してみよう。
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